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『環境について語るのが、なぜかちょっとサブい理由。』

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環境について語るのって、なんかサブい。
「意識高い系」みたいに見られそうで、距離を取りたくなる。
——正直、わかります。僕もそうでした。

でもこれ、けっこう深い話なんじゃないかと思うんです。
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「三方良し」から「六方良し」、
主語がどんどんデカくなる日本

近江商人の「三方良し」——売り手良し、買い手良し、世間良し。
日本人の倫理観を代表する美しい言葉ですよね。
で、2010年代にはそこに「作り手良し」「地球良し」「未来良し」が加わって「六方良し」。
気づけば、主語がどんどんデカくなってる。

「取引の相手」から「地球」へ。
「いま」から「未来」へ。
言葉としては立派だけど、そのぶん遠くなった気もしませんか?
“良し”の範囲が広がるほど、私たちはどこを見ればいいのかわからなくなっていく。

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世界は「環境=チャンス」、
日本は「環境=我慢」

ちなみに、世界の感覚はちょっと違う。
2015年の世界市民会議という大規模な国際調査では、気候変動対策は「生活の質を高める」と答えた人が世界では66%。
それに対して日本は?
「生活の質を脅かす」と答えた人が60%。

要するに、世界は「環境=イノベーションやチャンス」、日本は「環境=コストや我慢」。
このギャップが、「環境を語るのってサブいよね」って空気を生んでるんだと思うんです。

「環境対策?いいことだけど、それでメシ食えるの?」
——これ、結構根深い問いですよね。

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“我慢しないエコ”という希望

でも、僕はそんなに悲観してません。
たぶん多くの人が、「環境のために何もしないのもマズい」とは思っているとも思っています。
だから問題は、“やるかやらないか”じゃなくて、“どうやったら我慢せずにできるか”。

科学技術が少しずつ人の暮らしを変え、
「環境負荷が減る=便利になる」という世界が見えてきた今、
サブさを“おもしろさ”に変えることだってできるはずです。
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「正しさ」じゃなく、「温度差」をつなぐ

このプロジェクトの目的は、誰かに正しさを教えることじゃありません。
“温度差”を可視化して、そこに橋をかけること。
全員がエコな聖人になる必要なんてない。
でも、自分の生活の中でできる“ちょっとした選択”を考えてみる。
その入口を、僕たちはつくりたいと思っています。
「プラスチック問題についてまじめに考えるプロジェクト」は、
サブさを恐れず、でも説教くさくもなく、“まじめ”をカッコよくできないかなと思っています。